8冊目 君の名前で僕を呼んで アンドレ・アシマン
2018年5月31日 読書何一つ忘れない。
8冊目 君の名前で僕を呼んで アンドレ・アシマン
もうね美しすぎて尊すぎて感想とかないよね。
無理。尊い。
イタリアの避暑地。
17歳のインテリ少年・エリオの別荘では,大学教授の父が毎年学生の面倒を見るために下宿させている。
今年選ばれた大学院生・オリヴァーと,エリオが恋に落ちてひと夏を駆け抜ける話。
もうとにかくエモい。
芸術系同性愛。
映画化されていて,それを観てから原作本の日語訳を読んだ。
どちらもいいけど,小説版の方がより官能的というか,率直かも知れない。
エリオの一人称で物語が進むので,映画では分からなかったけどエリオこの時そんなに悶々としてたんかい!ってひたすら思うくらい,エリオずっと悶々としてる。
17歳の性欲さすがだわ。
それにしてもその沸き起こる性欲の描写も,まぶしい日々ひとつひとつの描写も,とにかく美しくて,一節ごとにため息が出るほど。
青春の夏の輝き,美しい……。
あと登場人物に悪い人が一人も出てこない。
とにかくみんな賢くて,優しくて,思慮深く愛に満ちている。
恋心って,素晴らしいものだよなぁ。
痛みも,不安も,得難いものだから,全てをしっかり感じて,押し殺さず,抱きしめないともったいない。
感覚を失う前に,感性がすり減る前に,そういう経験が出来たことを味わい切らないともったいない。
何よりこのエリオの両親が本当にいい人たちなんだよなぁ。
同性愛でも異性愛でもなんでも,自分の両親に自分の抱く気持ちを肯定してもらえるというのはすごく恵まれていて,現実的にはあり得ないんじゃないか?というほど,エリオは愛されている。
もしかしてそこにフィクションさを感じて興ざめしてしまう人がいるかもっていうくらい,出来た父ちゃんと母ちゃんなのよ。
何故こんなにエリオが恵まれているか。
それはエリオも,オリヴァーも,父も,三人とも著者をモデルにした私小説であったからだと思う。
これは確定ではないんですが,どうやらそのよう。
著者は若い頃毎年イタリアの別荘に行っていて,エリオのような生活をしていたし,大学院生だった時はオリヴァーのようだったし,今は大学教授をしている。
エリオのお父さんは後半で,若い時自分は踏み切れなかった,お前たちのようになれなかった,何かが私の心にブレーキをかけていた,ということをエリオに言うんだけど,つまりこれは著者自身が過ごしたかった少年期を描いていて,著者自身を慰めるための物語なんだと思う。
だからとにかくこの小説は美しい。
映画は,小説版のラストをカットしている。
それは続編を作るつもりだかららしい。
続編,私はなくてもいいような気もするけど……
やっぱりあった方がいいのかな。
ちなみに映画はブロークバックマウンテンを想起した人が多かった模様。
確かにオマージュになっている部分はあるだろうと思う。
でもこの作品の本当の主題は少年エリオが他者との深い関わりを得たことで自分自身を発見する,存在の証明の話だと思っているのですこーし違うかな。
君の名前で僕を呼んで
というタイトル,これ,ちょっと意味が分からなくないですか。
実際,行為中にオリヴァーが「君の名前で僕を呼んで。僕の名前で君を呼ぶから」と提案するんです。
相手のことを自分の名前で呼んで興奮するのってあんまり共感できなかったから色々考えたんですよ。
とても考えたんだけど,一回目映画を観た直後は
「別れることになると分かっているオリヴァーが,自分への未練を少しでも軽くしてあげるために,エリオに自分の名前を呼ばせないよう配慮したのかな」とか思っていたんですよ。
小説を読んだら全然違うことが分かりました。
これは,彼らが両想いをたしかめる前からお互いに
「彼は自分の考えていることが先回りして分かる唯一の相手だ」と強く感じていたからなんですね。
これはエリオもオリヴァーもすごく賢くて知識が豊富で,周りにいる人間と同レベルで話せなかった,浮いた存在だったことにも強く関係するんですけど。
賢すぎる故どこか孤独だったし,どこか周りに心を開けなかったんですよね。
でも,お互いに,自分よりも優れていて,かつ,自分と同じ感覚を持っていて「完全体になった自分」のような相手を見つけたんですよ。
自分の言おうとしていること,言わなかったことも,相手には分かる。
自分も,相手のことが分かる。
だからこそどんどん惹かれていって,元から一つの個体だった半身を見つけた気持ちになっていた。
だからこそ,自分は君で,君は僕だ,と宣言することが,二人の間で最大の愛の告白だったんですね。
エリオもそう思っていたから,オリヴァーにそう言われたことで,自分たちは本当にひとつになるべき存在だったんだと確信を得るわけなんですよ。
それともう一つ,前述の通り,オリヴァーも,エリオも,著者自身である,ということがかかっているんだと思います。
愛してあげられなかった自分自身を愛してあげるために,君の名前で僕を呼ぶんだろうなと。
なげぇ!!このくらいにしておく。
8冊目 君の名前で僕を呼んで アンドレ・アシマン
もうね美しすぎて尊すぎて感想とかないよね。
無理。尊い。
イタリアの避暑地。
17歳のインテリ少年・エリオの別荘では,大学教授の父が毎年学生の面倒を見るために下宿させている。
今年選ばれた大学院生・オリヴァーと,エリオが恋に落ちてひと夏を駆け抜ける話。
もうとにかくエモい。
芸術系同性愛。
映画化されていて,それを観てから原作本の日語訳を読んだ。
どちらもいいけど,小説版の方がより官能的というか,率直かも知れない。
エリオの一人称で物語が進むので,映画では分からなかったけどエリオこの時そんなに悶々としてたんかい!ってひたすら思うくらい,エリオずっと悶々としてる。
17歳の性欲さすがだわ。
それにしてもその沸き起こる性欲の描写も,まぶしい日々ひとつひとつの描写も,とにかく美しくて,一節ごとにため息が出るほど。
青春の夏の輝き,美しい……。
あと登場人物に悪い人が一人も出てこない。
とにかくみんな賢くて,優しくて,思慮深く愛に満ちている。
恋心って,素晴らしいものだよなぁ。
痛みも,不安も,得難いものだから,全てをしっかり感じて,押し殺さず,抱きしめないともったいない。
感覚を失う前に,感性がすり減る前に,そういう経験が出来たことを味わい切らないともったいない。
何よりこのエリオの両親が本当にいい人たちなんだよなぁ。
同性愛でも異性愛でもなんでも,自分の両親に自分の抱く気持ちを肯定してもらえるというのはすごく恵まれていて,現実的にはあり得ないんじゃないか?というほど,エリオは愛されている。
もしかしてそこにフィクションさを感じて興ざめしてしまう人がいるかもっていうくらい,出来た父ちゃんと母ちゃんなのよ。
何故こんなにエリオが恵まれているか。
それはエリオも,オリヴァーも,父も,三人とも著者をモデルにした私小説であったからだと思う。
これは確定ではないんですが,どうやらそのよう。
著者は若い頃毎年イタリアの別荘に行っていて,エリオのような生活をしていたし,大学院生だった時はオリヴァーのようだったし,今は大学教授をしている。
エリオのお父さんは後半で,若い時自分は踏み切れなかった,お前たちのようになれなかった,何かが私の心にブレーキをかけていた,ということをエリオに言うんだけど,つまりこれは著者自身が過ごしたかった少年期を描いていて,著者自身を慰めるための物語なんだと思う。
だからとにかくこの小説は美しい。
映画は,小説版のラストをカットしている。
それは続編を作るつもりだかららしい。
続編,私はなくてもいいような気もするけど……
やっぱりあった方がいいのかな。
ちなみに映画はブロークバックマウンテンを想起した人が多かった模様。
確かにオマージュになっている部分はあるだろうと思う。
でもこの作品の本当の主題は少年エリオが他者との深い関わりを得たことで自分自身を発見する,存在の証明の話だと思っているのですこーし違うかな。
君の名前で僕を呼んで
というタイトル,これ,ちょっと意味が分からなくないですか。
実際,行為中にオリヴァーが「君の名前で僕を呼んで。僕の名前で君を呼ぶから」と提案するんです。
相手のことを自分の名前で呼んで興奮するのってあんまり共感できなかったから色々考えたんですよ。
とても考えたんだけど,一回目映画を観た直後は
「別れることになると分かっているオリヴァーが,自分への未練を少しでも軽くしてあげるために,エリオに自分の名前を呼ばせないよう配慮したのかな」とか思っていたんですよ。
小説を読んだら全然違うことが分かりました。
これは,彼らが両想いをたしかめる前からお互いに
「彼は自分の考えていることが先回りして分かる唯一の相手だ」と強く感じていたからなんですね。
これはエリオもオリヴァーもすごく賢くて知識が豊富で,周りにいる人間と同レベルで話せなかった,浮いた存在だったことにも強く関係するんですけど。
賢すぎる故どこか孤独だったし,どこか周りに心を開けなかったんですよね。
でも,お互いに,自分よりも優れていて,かつ,自分と同じ感覚を持っていて「完全体になった自分」のような相手を見つけたんですよ。
自分の言おうとしていること,言わなかったことも,相手には分かる。
自分も,相手のことが分かる。
だからこそどんどん惹かれていって,元から一つの個体だった半身を見つけた気持ちになっていた。
だからこそ,自分は君で,君は僕だ,と宣言することが,二人の間で最大の愛の告白だったんですね。
エリオもそう思っていたから,オリヴァーにそう言われたことで,自分たちは本当にひとつになるべき存在だったんだと確信を得るわけなんですよ。
それともう一つ,前述の通り,オリヴァーも,エリオも,著者自身である,ということがかかっているんだと思います。
愛してあげられなかった自分自身を愛してあげるために,君の名前で僕を呼ぶんだろうなと。
なげぇ!!このくらいにしておく。
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