孤独なら本を読めばいい。向こう側には必ずお喋りな人間がいる。

3冊目 空は、今日も、青いか? 石田衣良

石田衣良初となるエッセイ集。
2004年~2005年にR25等の雑誌に掲載されたコラムを一冊にまとめたもの。
普段の石田衣良よりも随分とリラックスした、のびやかな文章が読める。
R25世代の若者に向けて、あるいは女性誌の読者に向けて、平易で柔らかな表現を通しているのは、恐らく普段小説を読まない人へのプロモーションだろう。
さらさらと読ませて人の心の緊張を緩めたところに、少しだけ小粋な表現を挟む。
そして事もなげにスッと締める。
こんなにおしゃれで粋な大人の書く小説はどんなものなんだろうと思わせる、終始徹底した作戦を感じるw
これくらい気の利いたことをいうのは、小説家としては朝飯前なんですよ、もっと感動したかったら本を買ってねという。

エッセイというのは基本的に一人語りで、作家対不特定多数の読者だ。
でもこの本は他でもない「君」や「あなた」に、「ぼく」から言葉を届ける。
「ぼくたち」について語りかける。
特殊なスタイルのエッセイと言える。
雑誌のコラムなので元々読者層を想定しているというのはある。
でも、それよりももっとプライベートな、バーカウンターで横に座って肩を触れさせながら話すほど近い距離間で語りかけてくる。
君のことはまだ詳しく知らないけど、それでも君にシンパシーを感じているんだと訴えてくる。
石田衣良は人たらしだ。
頭がいい振りなど決してしない。
かがんだりもしない。
ただすっと目の前に立ち、握手を求めてくる。
そういう作家だ。
別にこの人はとびぬけて才能があるわけでも、とびぬけて賢いわけでもないと思う。
ただシンプルに真っ直ぐ人の前に立つ度胸があり、背筋を伸ばしてはっきりものが言える。
他人を下げたり持ち上げたり、自分を下げたりふんぞり返ってみたりしない。
それだけの人だ。
でもそういう人は人に好かれる。

かなり当時の時事ネタで成り立っているので10年以上経って読むとなかなかに面白い。
当時自分が適した年齢だったらぶっ刺さっていたんだろうし面白く読んだだろう。
こういういいお兄ちゃんがいつも、これからも、若者の隣にいてほしい。
人は島である。
島であるということは、海の底では繋がっているひとつの大陸でもある。

2冊目 水に似た感情 中島らも

中島らもって好きな作家なんですよね。
感性が敏感で繊細で、純度の高い文章だと思う。
素直で欲がなくサービス精神旺盛で謙虚で、博識なのに嫌みがない。
小学生の頃からとても好きですね。

水に似た感情 は、小説というよりはほぼドキュメンタリーでそのままバリ島に行ったときの記録。
中島らも御一行(名前は変えてる)がロケに行く話です。
何か特別面白いかというと、そんなこともないんだけど、なにかすごくいいことが書いてあるかというとそうでもないんだけど。
なんだろうなぁ。すごくいいんだよね。
これ言語化するための記録なのになんにもうまく文章にできない。
途中どんどん躁になって、入院して、元に戻るんだけど、私もなったことあるから全部わかるんだよね。
説明しようとか、表現しようとかではなく、ただ躁の人が躁で書いてる文章なんだよね。
躁鬱でアル中でヘビースモーカーで、覚せい剤や麻薬も海外ではやるんだけど、この人がそれをやるのは頭が良すぎて世の中のことを感じ取りすぎちゃうからなんだよね。
鈍感になるようなフィルターをかけているくらいじゃないと、世の中にある物事のひとつひとつが刺激が強すぎるの。
あらゆる麻酔をかけて感じないようにしているけれどそれでも敏感だから、あらゆる方法のアウトプットでバランスをとっている。
そしてその生きるためのアウトプットで人を感動させて金が稼げるだけの才能がある。
天才とは、生きるのが難しいものなんだなぁ。

あとがきで
イワシの群れが「先端から最後尾まで同時に向きを変えている」ことから

“我々には未だ知ることのない情報伝達手段がイワシにはあるのではないか。
人間にはなぜそうしたものがないのか。
人間はなぜ言葉を使ってしかわかりあえないのか。
人間はなぜ裸になって抱き合わないとわかりあえないのか。
人間はなぜ「個」に分断されているのか。
これが本書『水に似た感情』のテーマである。”

とある。
あのさぁ!!!
私と、死んだ中島らもが、この瞬間同じように、
「なぜ人は言葉を使ってしかわかりあえないのか。なぜ個に分断されているのか」を考えていたことが、そもそも、もしかして、
人間にもイワシのような能力があるということの証拠なんじゃないですか?!
と私は思いました。

最近ほんと自分のテーマと読んでる本との一致に驚くなぁ。
呼ばれている。
気持ち悪いくらいだ。

中島らも作品を読んでいて自分が本当に心から中島らもを愛していることが分かったので、100冊以上ある著書、全部購入して本棚に置きたいという目標ができました。

「愛」という言葉を得た時から、人は愛を失った

1冊目 愛がいない部屋 石田衣良

神楽坂の高層マンションに住む、住人それぞれの姿を描いた、10のショートストーリー。
主人公は全員女性。(一つを除く)
基本的に愛や恋に苦しんでいる。

空を分ける
付き合ってない男女でルームシェアをして、いけるかな?と思ったらそうは問屋が卸さない話。

魔法の寝室
不感症で感情が希薄な女が寝室の壁紙を変えた途端いい感じになる話。

いばらの城
毒親の呪いで自己肯定感のない女が、彼氏と結婚するよりも独身で自分のマンションを買った方が安心だわとなる話。

ホームシアタ-
息子が引きこもりニートで、困ってるような困ってないような話。
これは親父目線でした。

落ち葉焚き
夫が死んで七年になる六十三歳の女性が同じ未亡人の人を好きになって静かにお付き合いする話。

本のある部屋
金持ちの既婚男性に声を気に入られて部屋を与えてもらって、本を朗読するだけの不倫(?)をする話。

夢の中の男
セフレいっぱい作って楽しげに不倫してるけど実は夫に相手してもらえないのがさみしいだけだという話。

十七カ月
不妊からの早産で障害を持って生まれた子の育児に苦しむ話。

指の楽園
若い男の子がマッサージしてくれるのは最高の癒しだけどえっちなのは違うんだよなぁという話。

愛がいない部屋
DVしんどいけど耐えないでまた人生やり直してみた方がよくない?という話。

雑すぎですみません。
全体を通じて虚無感の強い、空っぽで重たい話ばかりなんですが、内容よりも今回は解説にぐっときました。
解説は名越康文。
そこでは「愛を求め、苦しむ人たちは、その愛という言葉に毒されている。必要とされたい、を愛されたいに置き換えてしまっている。愛という言葉こそが害悪だ」というようなことを書いています。

私はここのところ、
人の「好き」をひとつとっても「そばにいたい」なのか「笑っていてほしい」なのか「話を聞いてほしい」なのか「セックスしたい」なのか「自分を必要としてほしい」なのか
それは人それぞれでもあるし、場合にもよる。
なのに「私は好きなのにあなたは私のことを好きになってくれない」のようなことが起きる。
もっと詳細なニュアンスで、もっと正確に自分の心を人に届ける方法はないものか、逆も然り。
そんなことを考えていたので、この人の言ってることは近いなと思いました。

「愛されたい」その中身は何か。
もっと言えばかなり多くの言葉がそうだと思う。
手軽に他人に言葉を送信できる時代だからこそ、言葉の中身をもっと追究すべきだ。
その言葉を口にしているとき、同じ言葉であっても他人は違う意味で使っていると思った方がいいくらいだ。
愛とは何か、なんて壮大な議題じゃない。
「愛」という言葉を使わずに自分の思う愛を表現してみると、愛の呪縛から解き放たれるんじゃねえか?
固定概念とか先入観とか捨てて、自分の言葉と、人の言葉の真意を考えてみること、それがつまりは「愛を考えること」になるんじゃねえか?

というようなことを考えました。
こいついつも同じこと言ってるな!
本を読んでいる時、多くの場合はそこに新しいものを見出すというよりは自分の思考の補助にしていて、考えてることが変わらない限りそこから抽出している情報も結局同じものになってしまうんですよね。
新しい要素を入れるにはミステリが一番なんですが、最近はしんどいと思いつつもこういった自分の思考補助的な本ばっか読んじゃってますね。
買ってまだ読んでない本もあるけど、ちょっと新しい空気入れるために明日は初めて行く図書館に行ってこようかな。

女にはダイヤモンドの女と真珠の女がいる。

15冊目 眠れぬ真珠 石田衣良

主人公は45歳独身、両親も亡くなって兄弟もいない、犬と暮らす版画家。
ある日出会った17歳も年下の男に恋をする。
映画監督になるはずだった彼が元の映像の世界に戻れるように、この恋は必ず自分の手で終わらせなければならない。
一瞬を永遠に変える恋の奇蹟。

という感じ。
恋っていいですねー!
恋!!!!わー!!! 笑

更年期障害に悩まされる、中年の孤独なアーティストの心情が、何故男の石田衣良にこんなにも生々しく描けるんだろう。
私は、100%の女も、男もいないと思っている。
性別はグラデーションだ。
白か黒かではっきり分けられているものではない。
それにしても、だ。
石田衣良はすごい。
石田衣良の中にはきっと、孤独な中年女性も棲んでいるんだろう。
そうとしか思えないような研ぎ澄まされた感覚だと思う。

若い男性に恋をしてしまった。
その時、自分のこれまで刻んできた時間が、全てひどく恥ずかしく、みすぼらしく、消えてしまいたいような気持になる。
わざと「私みたいなおばさん」とか「こんなしわだらけの手」とか言ってしまう。
自分の後ろ姿に老いが見えないよう精一杯胸を張っても、若い女の子の前では消えてしまいたくなる。
髪の艶や肌のハリに、どうしようもなく敗北感を感じる。
恋をしているということで勝手に傷つきまくるこの主人公が、可哀想でいじらしくて、私自身本当に身を切られるようだった。

更年期障害のホットフラッシュが、いつもリアルな幻覚と貧血とセットで起こる。
大量の汗とともにひどい幻覚の恐怖と貧血で毎回気を失ってしまう。

~~~
「そのだらしない身体はなんだメス犬。おれを見る目はずっと発情していたぞ。恥ずかしくないのか。そんなに全身濡らすほど、おれがほしいか、ババア」
「今のままの咲世子さんは素敵ですよ。なにも反省することなんかないんです。ノアなんかよりずっといい」
「だから、尻尾を振ってついておいで、メス犬」
~~~

こんな幻覚をみてしまう45歳独身女性、可哀想でならないでしょう。
自分のことをこんなにも卑下するようになってしまうのが、年下との恋なんだ。
辛いねぇ。

刹那的な蜜月の様子も、薄い氷のように澄んで、皮膚が切れるほどの切なさだ。
初めて抱かれる日の夜、自宅で乾杯している時の描写

~~~
素樹はたくましいのどを見せて、グラスを一気に空けてしまう。咲世子はほとんど泣きそうになって、グラスに口をつけた。酸味のある丸い甘さが、はじけながらのどをおりていった。生きていること。ただそこにいて、息をしていること。それだけで欠けることのない時間が、これまでの人生で何度自分にあったのだろうか。
咲世子は住み慣れたリヴィングルームをゆっくりと眺めた。照明は部屋の隅に立つ旧い木製のスタンドだけだ。となりには素樹が、足元にはパウルがいる。このシーンを決して忘れることのないように心に刻んでおこう。
~~~

これから抱かれるという時に、このシーンを胸に刻み付ける切なさ。
好きな人が生きて、息をしていることだけで、世界が完全になる。
この瞬間欠けることのない幸福がある。
恋って、いいですねぇ~~ 笑
あまりに愛しい気持ちがわかりすぎてここはちょっと付箋を貼ってしまいました。
あともう一か所、これは二回目の事後なんですが

~~~
すべてが終わったあとで、咲世子はすこしだけ泣いたが、それは悲しいからではなかった。
思い出の夜をもう一日だけ、自分に増やしてくれた。このごろ、自分にはいじわるなだけだった運命に感謝したくなったのである。
~~~

もうね、いつも、どれだけラブラブな状況でも、常に、別れの予感と戦っている。
それがこの恋を美しくしているんだけども、いつも本当に切ない。
ワカル~ワカル~恋ッテイイヨネ~ってなってしまう 笑

私は年上かタメしか付き合ったことないけど年下ほんと辛いだろうなー。
うむ……
恋の素晴らしさ、喜びと苦しみがふんだんに詰まった良き作品でした。
しんど!!!!って思ったけど、これはいい。いいと思いますわ。
恋は辛いものだけど、やっぱり恋のない人生は味気ないよね。
息をしているだけで欠けることのない時間を感じられるんだよ。
それだけでも生まれてきてよかったと思えるよ。うんうん。
人間は愚かなほど可愛い

14冊目 夜の桃 石田衣良

現代版「人間失格」。
才能も地位も名誉も、金も家庭も愛人もあるのにまた浮気する。
そんで身を亡ぼす。

石田衣良の性愛描写は瑞々しくて好きだ。
最初女性だと思っていたくらい、緻密に描かれている。
男が興奮する内容ではないんじゃないかなぁ。
少なくとも村上春樹よりはずっとセックスが巧そうだ。笑

IT企業の社長が妻と愛人との充実した三角関係を楽しんでいるところ、
自分の会社に契約社員で入ってきた若い処女の子に溺れて身を亡ぼす話。
リスクの方が明らかに勝るのに体の相性がよすぎるというw
面白いほどずぶずぶになっていく社長、可愛い。
いやーこの刹那的に有頂天になる感じ、スリルと罪悪感と計り知れない優越感。
今この瞬間だけは自分が世界で一番幸福だと思えてしまう全能感。
わか、わかr、わっかんねーよバーカ!!!!!!
本当のクズは真面目に純粋にクズなので、人を傷つけようとしたり人を嵌めようとしているわけじゃない。
ただただ自分の心の通りに、好きな人に会って好きな人と愛し合っているだけなのだ。
同時多発的に好きな人が存在していることで、誰かをぞんざいに扱うわけでもない。
妻には妻への愛情を、愛人には愛人への愛情を、全部嘘偽りなく全力で注ぎこんでいる。
こう見ると愛情を沢山持っている人のように見えるけれど、やはり人間の持てる愛情の総量は決まっていて、分割すればそれだけ本当に深くまではいけないのだと私は思う。
愛情に嘘はなくあるものすべてを注いでいたとしても、それはやっぱり、浅いのだ。
浅い愛情では人をすっぽり全部包むことはできないのだ。
半身浴みたいな状態では風邪を引いてしまうのだ。
熱い半身浴を繰り返すのは心臓にも悪いのだ。

でもここまで書いて思ったけどこの社長は多分一人に絞ったところでその愛情の深度が増すこともなさそう。
元々、もしかすると男と女では愛情の受け皿の深さが違うのかも知れない。
男は深く愛されて、女は浅く愛されるようにできているのではないか?
そもそも男には深い愛情などというものは存在しないのかもしれない。
ハー男クソ。

ぬるま湯みたいな愛情にどっぷり肩まで浸かって生きていきたい、と思いました。
だとするともう女と付き合うしかないんじゃない?
それもそれでどうなんでしょうなぁ。

最近になって、自分の今の気分にフィットする本を探し当てるのが本当にうまくなったなと感じる。
子供の頃は、なんか本読みたいなと思って適当に買ってきても、気分に合っていなくて積むことがよくあった。
作家を知ることである程度傾向が計れるようになったこともあるし、自分の気分を正確に認識する精度も上がっているんだと思う。
このように自分の求めているものを自分が正確に認識して提供して、自分自身でご機嫌を取っていけるようになるということが、少しずつ大人になっているということなのかもしれない。

なんとなく石田衣良の気分なのでしばらく石田衣良が続くかも知れません。
小説家と読者は、お互いに読む力、書く力を競い合うライバルなのかもしれない。
(そんなようなことをどこかで読んだ気もする。)

13冊目 海辺のカフカ 村上春樹

長かった。
長い本を読むのは別に苦痛じゃないし、そもそも気分が乗らない本は読まないから、気分は合っていたんだけど、とにかく長かった。
出てくる音楽とか本の引用元とかも、軽くでも調べないと気が済まないからいちいち手が止まるし、描写も飲み込むのに時間がかかるし、ずっと読んでたのになかなか先に進まなかった。
ただ文章そのものは嫌いではない。

まとめるのがめんどくさいので気が向いたらまた書くけど、2つか3つかの視点で並行して話が進んでいって、徐々にそれらの話の接点が明らかになっていくような、まぁ村上春樹お得意の手法。
これ自体は読み慣れれば、そんなに混乱は招かない。
むしろ読み手に気を使って伏線を整理することがよくあるのでちょっと煩わしいくらい。
殆どの部分は結構楽しく読んだんだけど、最後の方、48章がちょっとなー残念だったなー。
ナカタさんは結構好き。大島さんも好き。
ただ大島さんの設定に対する村上春樹の恣意にはすこーーーしばかり抵抗を感じる。
大島さんには一切非がないけれど、じゃあどうしてそこに大島さんが必要だったのか、と考えるとちょっと嫌な気持ちにはなる。

村上春樹が好きなのか嫌いなのか、について読みながらずっと考えていたんだけど、どうも答えが出ない。
文才はある、話は面白い、興味のある内容もいっぱいある、文章を読んでいる時間の充実感はなかなか代わりのいない稀有な作家だなぁと思う。
ただ妄信的に好きで好きでたまらないって人の気持ちは分からないなぁ。
エンターテイメントとしてたまーに読むにはいいけどなかなか親密にお付き合いできる作家ではないなという印象。

1Q84はまだ読んでない。
色彩を持たない~は読んだ。まぁこっちは読みやすかったしわりと好き。
東京奇譚集とか神の子どもたちはみな踊るとか、短編は面白くて好き。
いや面白いという意味ではいつでも面白いんだよな。
めんどくさいだけで 笑

村上春樹は平易な文章で難解な物語を作り上げる作家ということになっているけれど、物語が難解かどうかは分からなかった。
書いてあることを書いてある通り読めば何も難しいことはないと感じたけど、もしかしたら本当はもっと深い話だったのかも知れない。

文章を読む力、ないなーーーーと感じて少し落ち込んだ。
まぁいいや次は何を読もうかな
寝ることと死ぬことは似てる。
毎日死んで、毎日生まれる。

12冊目 白河夜船 吉本ばなな

眠りをテーマにした三部作。

白河夜船
長く続く不倫、友人の死、どんどん深く、長くなる睡眠。
半分透明になったような毎日から、生命力を取り戻すまで。

夜と夜の旅人
兄の死から一年。
残された人たちが今に追いつくまでの夜の話。

ある体験
泥酔して眠ると、心地良い歌声が聞こえる。
思い出すのは、好きだった男ではなく、嫌いだった女。
自分の本当の気持ちに気付くのは、昼よりも夜だ。

そんな感じの三部作。
吉本ばなな作品、いつも浮気してんなぁw

これも矮小な自分に疲れた時読む本。
吉本ばなな作品に共通するのは生命力なんですよね。
何か大きな流れの中で、どうしたって人は立ち直る。
時間を止めたり、理に逆らったりできない。
生きている限り残酷にも人は、立ち直る。
ひとところにとどまっていることは出来ない。

私も疲れると過眠になる傾向があるので、この白河夜船の中に流れるぼーっとした時間の味わい、生生しいです。
昼寝して起きて、夕方だと思ったら明け方だったり。
元居た世界と違うところなんじゃないかと感じたり。
現実のような夢と夢との間に現実味のない現実がはさまったり。

吉本ばななは他に「体は全部知っている」「ハチ公の最後の恋人」「王国シリーズ」なんかが好きですね。
全部生命力の話。

自分の好きな歌に「それでも明日はやってくる」というのがあるんですが、それにも通ずるものがありそうです。
のびやかに生きるって難しい

11冊目 思いわずらうことなく愉しく生きよ 江國香織

しんどかった、久々に本を読むのが本当にしんどかった。
何度もパニックになったり過呼吸になったりしながら読んだ。
以前も読んだことがあるのに、今読むとこんなにもヘビィだとは。
でも、やめることができなかった。

また姉妹。江國香織だから(笑
ドラマ化されたみたいですね。

三姉妹の長女(36)は「理由もなしに暴力をふるうわけではない」夫と結婚7年目。
次女(34)は恋も仕事もバリバリのキャリアウーマン。
三女(29)は、恋は錯覚であり友情と肉体関係だけがはっきりしているものだと信じているけれど家庭には憧れている。
すこやかさ、のびやかさとは……

って感じだけど何しろ重たすぎるし年齢が近くなったこともあってかどれもがリアルすぎる。
三者三様のはずなのに、どの人も自分に似ている気がする。
女というのはそれそれがどんな姿をしていてもひとつの巨大な女というモンスターなのかもしれない。と解説にあり、首肯した。
「人間はみんな病気なのだ。一人一人みんな。」という長女のせりふにも共感する。
私はそこに「家庭という」とつけたい。

家庭の色はすごい。
家族というのは同じ病気を必ず持っている。どういう現れ方をするにしろ。
似たような病気を持つ人と一緒に破滅するか、違う病気の人と新しい病気を作って破滅するか、一人で破滅するかしかない。
とにかく読んでる間中うまく息ができなく、頭が痛く、しんどかった。

思いわずらうことなく愉しく生きよ。
彼女たちの父が書いた家訓。
それぞれに自分の意志で、自分の判断で、自分の人生を生きているのに、いつの間にか何かに囚われている。
でも、思いわずらうことなく愉しく生きるために、またそれを振り払って自分の人生を歩む。
さみしくても悲しくても、人に自分の人生を預けるよりマシだ。

女は強い、江國香織の書く女はいつも強い。
でもそれは女の思う強さであり、望む強さであり、あまりにも脆く、危うく、全力で破滅に向かう。
でも、急いでもゆっくりにでも、人は必ず破滅するし死ぬ。
だからそれでもいいのかもしれない。
江國香織の描く姉妹はいつも、ハイヒールで、一人で人生を走っている。

いつか、「兄弟がいる人は兄弟で人格を分け合っているからバランスがいい。一人っ子は、自分ひとりでいろんな人格をカバーしなくてはいけなくて困る」と一人っ子の友達が言っていた。
確かに私は三人兄弟で、それぞれに「兄はこういう人、妹はこういう人。だから私はこういう人」という感じでキャラ分けしている気がする。
彼らがそれぞれ私のキャラクターの一部分を担って人生を歩んでくれているから、自分はそのキャラクターに固執せず自分のキャラクターに徹することができる。
可能性を分け合っているというか、パラレルワールドを持っているというか。
そういう意味で共感性の高い女は、すべての女と可能性を分け合っているので、「女はひとつの巨大なモンスター」ということになるんだと思う。
少なくとも江國香織の描く女は、私の生きるかもしれなかった人生だと感じる。
すごく好きだったものが嫌いになり、また好きになる

10冊目 ちょうちんそで 江國香織

記憶の中に生きる女の話。
結婚、夫の病死。
行方不明になった「現実の妹」。
二度目の結婚。不倫の末、駆け落ちした男の自殺。
置いてきた子供たち。
色々な現実からの逃避。
記憶の中の「架空の妹」との、二人暮らし。

まずこれが平成二十五年出版ということにめちゃくちゃ驚いた。
江國香織作品はほとんど読んでいるからこれも既読であることは知っていて、
確か好きだったはずという朧気な記憶で購入した。
でも、十代後半から二十代中盤にかけて本を読めない状態が続いて、大体以前読んだ本というのは十代の時のはずだから、こんなに最近の本を読んでいたのかと。

江國香織は飯テロ系作家だと私は思っている。
いつも紅茶や珈琲、ワイン、色々なお菓子や食事が出てくる。
その中で江國香織と言えば、この「ミルク紅茶にチョイスを浸す」だった。
これがまさかこの ちょうちんそで だったとは。
もっと古い記憶かと思っていた。
それほど江國作品の常套句といった表現。
カフェオレボウルで紅茶を飲むのはホーリーガーデンだったか。
この江國香織らしさでもある喫茶描写、いかにもお洒落でございますといった風の、レコードをかけながらのティータイム。
嫌いだった時期もある。
くだらない、感傷に浸って、自分に酔って、悲劇のヒロイン面して、弱虫
と思っていた時期もあった。
子供の頃はシンプルにあこがれていた。
我が家は母と妹がいて、確かに我が家も女が集うと必ずお茶とお菓子の時間が始まる。
その感じが好きでもありいとおしくもあり、同時にとても嫌いだった。

江國香織の作品に通じるテーマはずっと「姉妹」であると、私は思う。
実の姉妹でなくても、姉妹になり損ねた母娘や、女友達、娘、隣人がよく出てくる。
男は常に社会であり、他人であり、異物。
そのことを芯から理解してくれる身近な姉妹がいるからこそ、外の世界に手を伸ばす余裕ができる。
本当は根っからのレズなのではないかと、今になっては思う。精神的な。
奔放で自立的でおしゃれで優雅な、男に憧れられる女がよく出てくるけど、それはいつも女から見た素敵さであり、終始閉鎖的で独善的だと、私は感じる。
ただそれが儚く美しくもある。
偏見というのは、芸術に於いてなくてはならぬものだと、私は思う。今は。

やはり江國香織も、私の旧くからの友人の一人、という感じ。
このいけ好かない雰囲気の彼女にいつでも会いに来られる、というのは、私の人生の財産ですね。
優しい本が読みたい時、選ばれる本が、結局のところ強いのではないか。

9冊目 ブラフマンの埋葬 小川洋子


博士の愛した数式 の著者。
芸術家の集う家を管理する主人公の寡黙な毎日に彩りを齎した、喋らない生き物「ブラフマン」。
サンクリット語で「謎」を意味する名前を与えられた生き物と主人公のひと夏の物語。

これは、私の好きないわゆる「映像化すると面白くなくなる小説」ですね。
小説っていうのは「面白い物語」である必要はなくて、どれだけ質のいい文章であるかが重要だと考えます。
質のいい文章は、映像化すると面白くなくなるんです。
特にこういった寡黙な主人公だと、主人公が何をどう見たか、どのように注意深くそれを取り扱ったか、に、感情の機敏をみるべきで、映像化してそのものを一緒に見てしまうと、それが主人公にどの程度大事なものだったのかを見過ごしてしまいがちなんですよね。

基本的に人は、常に他人の理不尽な目に曝されている。
常に少しずつ悪意に触れて、常に少しずつ摩耗している。
そのことに、気付いていない人もいるだろうけど、小川洋子は気付いている。
少しずつ、いつでも、我々は戦っている。
その中で、とても小さな、とても僅かな、シンプルな好意が、どれだけ日常に彩りを与えるか、それも小川洋子は知っている。
ただ、それが特別に永遠だったり、特別に万人から尊く扱われるものでない事も、小川洋子は教えてくれる。

どんなものも必ず流れゆく、変わりゆく、等しく。
自分にとって大切であるか否かなんて、世界には関係がない。
絶望でも希望でもなく、それが、当たり前の秩序であること。
静謐な文章で、淡々と過ごす日常の中に、それでも確かに、力一杯、ブラフマンを愛していたことが分かるためには、注意深く、あたたかい読み手の心が必要かも知れない。
久しぶりに衝撃を味わった。
やっぱりアンタはすげえよ!新井素子。

8冊目 もいちどあなたにあいたいな 新井素子

新井素子の「ひとめあなたに…」のことをふと思い出す機会があって、また何か新井素子作品読みたいなとブクオフで拾ってきました。
本当は「あなたにここにいて欲しい」が読みたかったのに無かった。
また今度探します。

さて。
大学三年生の女の子である主人公が、親代わりに慕っていた叔母。
その叔母が不妊治療の末出来た待望の子が、生後五ヶ月で死んでしまう。
「どんな悲しい時も泣かない、強い女である叔母」の謎を解き明かす話です。

うまくまとめようがないな、SF作品……
とにかく新井素子はすげぇよ。
文体が口語体なのでとても読みづらいんですが(しかもこちらが引き摺られそうなほど強烈な)、恐らくあの文体だからこそ、この強力なエネルギーを発する作品になるのでしょう。
とにかく異質、異端、それでいて、内容そのものはSFの伝統芸、時代を築き上げた名作をきちんと踏襲しているんですね。
不思議すぎる。
あなたは偉大な作家だ、と感嘆するしかできない。
才能ってやっぱりあるんだなぁ。

オタクの木塚君、とても好き。
異常興奮状態がデフォルトである主人公の女の子の、支離滅裂な話を「どうどうどう」と聞いてくれて、博識で、お酒に付き合ってくれて、面倒見が良くて、次会った時には日本酒の飲めるお店を調べておいてくれる!
そしてメガネの奥の目はくっきり二重だし、メガネを外したら実はハンサムなのかも。
しかも、ミステリーのトリックを本当に愛していて、ノートに分析する!
最高かよ付き合ってくれよ。
っかー!
心が弱った時にいつも行く公園やバー、会いに行く友達がいるように、
私には何度も読む本があります。
そのうちの一冊。

7冊目 ハゴロモ よしもとばなな

長く続いた愛人生活が終わり半分幽霊みたいになった主人公が、実家に帰って色々な変わった人たち、時間、風景に少しずつ癒されていく話。

と書くとなんだかすごく甘く優しい感じがするけれど、よしもとばななはもっとシビアでクールだと思います。
最終的に甘く優しい作品ではあるんだけど、ひとつひとつの苦しみは救いのために用意された悲劇ではなく、どうしようもない現実で、そこからひとつひとつ立ち直っていくのも簡単な作業ではなく、しんどい思いをしながら、それでも重い腰を上げ、自力で、立つ。
その過程で、それを助ける小さな優しい奇跡が起きる。
でもそれは物語の中だから特別によしもとばななが用意した奇跡ではなく、日常毎日起きている奇跡を、ただ上手に掬い取って見せてくれているだけなんだと思う。

と、いうような感想はよしもと作品のほぼすべてに共通して言えることだから今後よしもと作品の感想は全部同じになりそう。
主人公や、「姉妹になりそこねた友達」は、私の友達でもあり。
彼女たちがこのように日常を一日一日積み重ねて生きて、生活を営んでいるのだから、自分も今の生活をしっかり地に足をつけて自分で生きなければ、と思う。
元気をもらうとか、癒されるとか、そういうのとはちょっと違って、なんだろうなぁ。
旧友に会ってお茶して、近況を聞いて、お互いに「あ、負けてられないな、自分ももっとしゃんとしなきゃ」って思うみたいな。
背筋を伸ばそう、と思えるから、何度でも読むんでしょうね。

多分よしもとばななは「日常を、おろそかにせず真剣に、丁寧に生きること」を常に意識していて、登場人物達も立ち居振る舞いが丁寧で真摯であることを是としているから、自分も襟を正す気持ちになるんでしょう。
新鮮なもやしが家にいつもあるってかなり困難だと思う(笑

時間という大きな抗えない流れの中で、どんなことが起きようとも、同じ状況が続くことは絶対にないし、ずっと同じ気持ちは続かない。
川がキーワードとして出てくるんですが、
川の流れのように とか 時代 とか そんな昭和の名曲が思い起こされる懐かしい本です。

世の中の人間は大抵ポエマーだ。
いついかなる瞬間も切れ味のよい言葉を求めている。
出来るだけ素早く、さり気なく人の心を動かしたい。
言葉を尽くして足りないのなら、速度を上げようという発想。


6冊目 求愛瞳孔反射 穂村弘

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない

から始まる短歌集です。
「本のまくらフェア」という、タイトルと著者を隠し、書き出し部分のみで読みたい本を選んでみようという企画で、最も人気が高かった作品。

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない

七五調で進む王道の詩で、このように唯一無二の存在感を放つ才能に震えます。
何度読んでも、この一頁目の質量を受け止めきれず、一度本を置くことになります。

詩を書いたことがある人は分かるかと思いますが、大体何度も何度も書き直したようなもの、あるいは後から後からわき出てくるものを次々書き出していったものは、大抵一番最初の状態が一番いい。
うまく書けていなくても、そう書いてしまった瞬間の気持ちを書き直してしまうと再現出来なくなる。
穂村弘作品は、書いた瞬間の鮮度がそのまま残っていることが多くていい。
少し考えて書いたものと、一気に書き上げたものでは全然違う。
と、読んでいて勝手に思っています。
制作風景は知りません(笑)

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない

声に出して読みたい日本語ですねぇ。
時々読み返すお気に入りの本です。
まだ読みかけの為、追記します。

ICO 宮部みゆき

宮部みゆきが同名ゲームにハマって是非小説化したいと申し出て書いた作品らしい。
ゲームは一切やらないので知らなかった。
宮部みゆき自体はかなり好きです。
一番好きなのは レベル7 二番目は ステップファザーステップ かな。
小暮写眞館 も好き。

本を読んでいる時はいつも頭の中で声がしていて、基本的にモノローグは低めの男性の声なんですけど、宮部みゆき作品の時は何故か全篇おばさんの声で再生されるんですよね。
ミステリなのに不思議なんですけど、何だかおばさんっぽいぬくもりがあるというか、茶目っ気があるというか。
淡々としているようで冷たさがないんですよね。

ゲームが先にあって、それを小説化してるという前情報があったので読んでいても確かにゲームっぽいと感じます。
頭の中でゲームのキャラクターが動く。
あえてビジュアルは確認してないんですが、読み終わってから見てみようかな。
ちょっと前に読んでこれはかなり好みだったので記録しておきたい。

パノラマ島奇譚 江戸川乱歩

売れない物書きの主人公が、自分と瓜二つの大富豪の訃報を知り、蘇生した(ということにした)故人に成り代わって自分の理想とする地上の楽園を創造する、という話。
自分を死んだことにする工作、故人が生き返る工作、蘇生からの回復、故人の奥さんとのやり取り、建造するパノラマ島の世界観、どれを取っても江戸川乱歩!!

乱歩は子供の頃からその独特のエログロが好きで、大人になってからより好きになった。
最近読み返した中でも本当に良くて。
パノラマ島、行ってみたい……。
とにかくパノラマ島の描写がとても良い。
売れない物書きがずっと書きたかった世界をお金の力で現実にしていくんだけど、これがもうね。
絶対読んだ方がいいと思うなぁ(笑
今手元に本がないので、もう少し時間のある時に特に良かった描写等、記録しておけたらと思います。
読み直し中。読み終わったら編集する。
今読みかけになっているのがドグラ・マグラと京極夏彦の狂骨の夢と森博嗣の堕ちていく僕たち(読み直し)。
私情が立て込んでいてなかなか本が読めなくてストレスだけれど、
もう少ししたら落ち着くと思うのでそしたら一日一冊くらいのペースで本読みたい。


ドグラ・マグラ 夢野久作

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並んで、日本探偵小説三大奇書に数えられている。
その常軌を逸した作風から一代の奇書と評価されており、「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」とも評される。
構想・執筆に10年以上の歳月をかけて、1935年にこの作品を発表し、翌年に死去している。

「私」は精神科の入院施設で目を覚まし、自分が「自我忘失症」状態であること、自分の記憶が重大事件の鍵を握ることを知らされ、記憶を取り戻すための実験を経て次第にとんでもない事件の全容が明らかになっていく…

上辺だけ要約するとこんな感じでしょうか。
夢野久作なので作中に論文が出てきたり、主人公がこのドグラ・マグラ自体を読んだりと、文章を読み慣れてないと頭を整理して読むことがかなり難しい本となっています。

今まだ序章で論文を読むところまで来ていないから精神は正常です。
以前読んだのは中学生くらいの時と、数年前。
今回はどのような気づきがあるか楽しみです。
最近読み返した。

何んでも無い
殺人リレー
火星の女

の三編が入った短編集。
少女地獄の名の通り、少し変わっているけれど普通とも言える少女の狂気を描いた作品。
あくまで病気とか気狂いではなく、女特有の病的思考回路にゾッとさせられる。
でも特に「何んでも無い」のユリ子なんて、現代ではかなり普通に沢山いそうだなと思った。
理想の自分を作り上げて、その演出や設定に命をかけてる。
話題のインスタバエとかも似たようなものを感じる。
むしろ最近の人の方がどんどんうまくなってそう。
今読んでもタイムリーに感じられる夢野久作恐るべし。
初めまして。幻月と書いてげんげつです。
主に推理小説が好きですが、色々な本を雑多に読む濫読家です。
本を読むのは日常であって特別な趣味ではないと思っていましたが、
せっかくなので記録を残しておこうとブログを始めることにしました。
個人的な記録なので間違った解釈や批判的な内容を含むこともあるかと思いますが、ご了承ください。
気になった本や感想があれば、コメント歓迎いたします。
また、オススメの書籍等あればぜひ教えていただけますと幸いです。
宜しくお願い致します。


さて第一回

好き?好き?大好き?
R・D・レイン

イギリスの精神科医の書いた詩集です。
いきなり推理小説じゃないじゃん!

英語が読めないので翻訳ですが、恐らくこの訳者がかなり凄腕かと。
Dou You Love Me? で 好き?好き?大好き? という時点で
かなり詩的センスでもって訳したのだろうと思われます。

対話形式で男女、親子等がそれぞれの気持ちを確認し合ったり責め合ったりします。

自分でも自分の気持ちをうまく言えない。
尚更相手には伝わらない。
こちらの「好き」とあちらの「好き」は同義ではない。
まず他人とのやり取りで同じ言葉が同じ感情を表しているとは限らない。
でも、言葉を尽くせば真意に近づくかというと、むしろ乖離する一方だ。

という、心と言葉の距離、心と心の距離、男と女の距離、人と人との距離を感じる、とても切なく愛しい詩集でした。
お互いの本当の姿が見えないまま、触れられないまま、言葉だけを頼りに信じて生きている。
そういう感じがしました。
他人はどこまでいっても他人で、理解したとか伝わったとか思うのは思い込みなんだなぁ。
少し皮肉めいた表現や、絶望感漂う頁もありますが、それらも作者の人間に対する温情を感じます。
文章を文章のまま読むとかなり支離滅裂で質素に見えますが、
「こう言うしかない時の気持ち」を考えると非常に色々な情景が浮かぶ、
とても緻密に人間の心の動きと関係性を描いた作品だと思いました。
手に取るタイミングによっても受け取り方が変わりそうで、これはまたいつか読み返してみたいと思います。

1 2

 

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索