優しい本が読みたい時、選ばれる本が、結局のところ強いのではないか。

9冊目 ブラフマンの埋葬 小川洋子


博士の愛した数式 の著者。
芸術家の集う家を管理する主人公の寡黙な毎日に彩りを齎した、喋らない生き物「ブラフマン」。
サンクリット語で「謎」を意味する名前を与えられた生き物と主人公のひと夏の物語。

これは、私の好きないわゆる「映像化すると面白くなくなる小説」ですね。
小説っていうのは「面白い物語」である必要はなくて、どれだけ質のいい文章であるかが重要だと考えます。
質のいい文章は、映像化すると面白くなくなるんです。
特にこういった寡黙な主人公だと、主人公が何をどう見たか、どのように注意深くそれを取り扱ったか、に、感情の機敏をみるべきで、映像化してそのものを一緒に見てしまうと、それが主人公にどの程度大事なものだったのかを見過ごしてしまいがちなんですよね。

基本的に人は、常に他人の理不尽な目に曝されている。
常に少しずつ悪意に触れて、常に少しずつ摩耗している。
そのことに、気付いていない人もいるだろうけど、小川洋子は気付いている。
少しずつ、いつでも、我々は戦っている。
その中で、とても小さな、とても僅かな、シンプルな好意が、どれだけ日常に彩りを与えるか、それも小川洋子は知っている。
ただ、それが特別に永遠だったり、特別に万人から尊く扱われるものでない事も、小川洋子は教えてくれる。

どんなものも必ず流れゆく、変わりゆく、等しく。
自分にとって大切であるか否かなんて、世界には関係がない。
絶望でも希望でもなく、それが、当たり前の秩序であること。
静謐な文章で、淡々と過ごす日常の中に、それでも確かに、力一杯、ブラフマンを愛していたことが分かるためには、注意深く、あたたかい読み手の心が必要かも知れない。

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