全然更新してなかった。
過去読んだことのある本ばかり読んでいて,新しい本に手をつけられていない。
最近は人生何度目かの中島らもブームで,さすがにいい加減作品を所有した方がいいなと観念し収集することにした。
基本的に図書館で借りることができるものはまず図書館で借りるようにしているが,夜中に急に読みたくなったり,持ち歩く時間の長い作品は買う。
人に貸したきり返ってこなかったり,実家に置きっぱなしになっていたりで,気に入った本はだいたい何度も買う羽目になる。
厳選して買うようにしているのに,買うとなると何度も同じものを買う。
何とも不自由。

さて恩田陸。
彼女の作品はどうも不穏だ。
いつも背中に鳥肌を立てて読んでいる気がする。
「いやな予感」が常に付きまとう。
その予感が次第に,不気味に,確かなものに変わっていく。
知りたいけど知りたくない,けど知らずにはいられない。
木漏れ日に泳ぐ魚も,そんな作品だった。
あまりひねりのある表現は多用せず平易な文章のように思えるのに,なぜこんなに上手なんだろう。
美しいシナリオと無駄な装飾のない緻密な表現,一気読みさせる名手だと思う。
まずミステリに於いて「今どこまで判っていて,何が謎のままなのか」「ヒントはどこにあったのか」をスムーズに確認させる,整理するシーンは必須だが,それがわざとらしかったり不親切だったりするといちいちそこで微妙なストレスが生じる。
恩田陸にはそれが皆無で,確認させられている自覚もなくしっかり確認ができている状態で進むことができる。
とにかく進行のうまさ,読むストレスのなさ,鮮やかな場面構成に感嘆する。

不気味さ,一気読みの気持ちよさ,読後呆気にとられるような感じ,夜更かしできる夏休みに是非読みたい作家のひとり。
ネクロポリスは長いけど一気に読めるからとってもオススメ。
新年一発目の読書は辻村深月のかがみの孤城。
1月1日の深夜から1月2日の明け方に読みました。
5時間くらいかかったかな。
辻村深月の文章は個人的に飽きるので続けて読めないんですが,今回は一気読みしました。
どんどん読みやすくなっていっていると思います。

いじめに遭い不登校になった主人公の女の子が自室に閉じこもっていると,ある日姿見が光って,その中の世界に連れていかれてしまう。
かがみの中はお城で,願いの間の鍵を探し出し,そこで願えばひとつだけ望みが叶う。
一緒にかがみの中に連れてこられた子供たちと,そのお城の秘密やそれぞれの事情を知り,成長していくって話。

本屋大賞受賞。
最終章,あなたは経験したことのない驚きと感動につつまれる―
らしい。

私も不登校だった時期があるんですが,どこで感動したらいいのかよくわからなかった。
泣くところもないし,かなり最初の方でオチは読めてた。
この人の怒涛の伏線回収,わざとらしい。
んでエピローグが恩着せがましい。

凍りのくじらの時と大体同じ感想。
あまり好きではない。
でも,理解はできるし,正しいと思うし,万人受けすると思う。
ただこの人の書きたい理想の世界が,私はいけ好かないというだけ。
シンプルに好みの問題で,私はこの人が好きじゃないんだと思う。
本としての質は安定している。
面白い。
20世紀を代表する哲学書であり最も難解といわれる。
Amazon kindleで無料だったので読んでみたけど、詩集を読んでいるような感じ。
「言うことができることは、クリアに言うことができる。そして語ることができないことについては、沈黙するしかない。」
哲学というのは、すでにある自明の事実を、まったく誤解のない形で言葉にする作業。
だから何も生み出さないし、「わかっていることがわかるだけ」「わからないということがわかるだけ」。
哲学とは突き詰めていくと「どれだけ正しく言語化するか」ということで、その言語化している時に生じた間違いやズレによって「論理的でない思考」や「その結果矛盾のある哲学」が生まれてしまう。
本当はそんなものは初めから存在しておらず、間違った解は途中で必ず間違えているから発生する。
そんなことが書いてある(ように見える)

この本は30分くらいでパラパラと読んだ。
理解しようとして理解できるわけもないので、直感的に全体を感じるために。
「人は思考するとき言葉を使うので、言語化できないことは思考できない」というのをどこかで読んだ気がする。
これもそのようなことで、「考える」というのは「他人に伝える」以前に、「自分を誤解させない言語能力」が必要で、適当に言葉を選んでいたら適当な答えしか出せない。
考えるときこそ繊細なニュアンスで、間違いのない、ズレのない言葉をチョイスしなければならない。

これは「もうすぐ無料期間が終わるよ!」というポップアップで慌ててダウンロードしたけれど、折を見て読み返せるように紙の本で買ってもいいかもしれない。
これも読んでなかったシリーズ

江國香織のエッセイ初めて読んだんだけど、マジで妹がいてそれを溺愛してるらしく「やっぱりね」という顔をした。
これは読んでいい本だった。
いろいろ最近読んだ本なんかが書かれていて、江國香織がこんな風に感じる本ならぜひ私も読んでみよう、と思う本がたくさんあったのでメモしながら読んだ。
やはり作家はいろんなところを旅したり、いろんな本を読んだりするべきだと思うし、その新鮮な空気の中で書いた文章はやはり新鮮な感じがして、おいしく私の養分になる気がする。

・愛は束縛
・プラテーロとわたし
・手のひらのトークン
・アマリリス
・トラッシュ
・橋の上の天使

を本の中からピックしたので、今後図書館で読める機会があったら探して読んでいく。
これも、好きな作家の本でありながら手に取らなかったシリーズ。
江國香織はほとんどの作品共通して「姉妹」の本だ。
実際に血がつながっていなくとも、女が姉妹のように生きていくのを描く作家。

これは兄妹の本である。
その時点で破綻のにおいがする。
正解。
これは最初から破綻した本である。
江國香織作品の魅力である美味しい飲み物も、自立した面白い女性も出てくる。
奇妙で無条件な存在である子供も出てくる。
兄も風変わりで周りの人を心酔させる理由も分かる。
それでもこの本は崩壊している。破綻している。
兄なんか描こうとするからだ。
それはこの世に存在しない、幻想の中にしか生きられない生き物だとでもいうように、時間が歪み、世界が歪み、夢のないファンタジーがただ拡張を続け、収集のめども立たない。
江國香織の世界の中で、血のつながり以外に説明のつかないほど意思の通じる男性など存在するはずがない。
なのにそれの存在をまず定義した結果、世界の方をゆがめざるを得なくなってしまった。
そんな印象を受けた。
まばゆいほどの江國香織エッセンスを詰め込んだにも関わらず、評価しようのない「無理」を感じてしまう作品。
好きな作家の本でも、なんとなくタイトルや内容紹介で敬遠してしまう本はいくつかある。
読みたい本が全部読み終わっても、なぜかずっと手にしていない本たち。
それを掘り起こそうと最近思い立ち、ようやく読むことになったのが「とかげ」。
嫌だったわけではないんだけど吉本ばなな作品の中でどうも食指が動かなかった。

一人で日帰り温泉旅行に行きながら読んだ。
暖房が効いた電車の中で。
お風呂から出たぽかぽかの身体で畳に寝転がりながら。
やはり吉本ばななは、私の人生に必要な時必要な本を読むよう、不思議なエネルギーでもってコントロールしているんだろう。
気味が悪いほど、そうだ。
スウィート・ヒアアフターもそう。
ハゴロモもそう。
王国もそうだったし、ハチ公の最期の恋人もそうだった。
私の人生の必要な時にしか現れてくれない。
でも必要な時にはちゃんと必要な本を届けてくれる。
スピリチュアル的なものを感じずにはいられない。

自分が干からびそうになっている時、
自分が起き上がれなくなっている時、
自分がもうどうしようもなく死んでしまった時、
それでも、吉本ばなながきっとその時にふさわしい本をくれるんだろう。
イギリスの億万長者、フェリックスデニスの成功論。

まぁ一言でいえば「自分を信じて行動しろ」ってことが繰り返し書かれている。
金を生むのはアイディアではなく、それを形にする方法だ。
サンプルでいいからとにかく形にしろ、行動しろ、失敗しないで成功することなどありえないので人より多く実行に移せ、寝る間も惜しんで仕事をしろ、金持ちになりたいのか豊かな人生を送りたいのか目的をはっきりさせろ、失うものが何もなく手にしたいのは金だけだと思える人以外は金持ちを目指すべきではない、というようなことが書かれている。


恋愛工学の本を読んだ時も思ったんだけど世の中には「モテたい」と言いながら「本当はモテたいわけではない人」がいる。
「金持ちになりたい」と言っても「本当に金持ちになりたいわけではない人」がほとんどなんだろうと思う。
「痩せたい人」「勉強したい人」「運動したい人」なんにでも言えることで、「本当にそれを望んでいるのか」という問いに窮するようでは、そこを目指すフリをするのはやめたほうがいい。

目標を達成するためには苦労をいとわないといえるほどの望みを持てる人は、結局のところ成功する。
それは人類の数パーセントしかいないんだってことですねぇ。
実行に移す。
言葉でいうのは簡単だけどほんと難しい。
16冊目 頭は「本の読み方」で磨かれる 茂木健一郎

本を読むことがどんなに人生を豊かにしてくれるか、ということがずっと書かれている。
けれどそれを本にしたところで、すでに本を読む習慣のある人にしか届かないのでなんかトンチみたいなことになってる。

テレビを見ている人にテレビ番組で
「テレビにはいろんな種類の番組があるし、自分の手に持っているリモコンでそれは自由に切り替えられます。しかも音量も調節できます。明るさも!」
って言っているようなもので、すでにテレビをつけてその番組を見ている人には周知の事実だし、テレビを見ていない人には一生その情報って届かないよねっていう。

あらためていうまでもなく自明のことしか書いてないので、本を読みたいけどほとんど読んだことがない人とかに読ませるべき本なのかな?
でもそういう人はまずいろいろな本を読んでみれば、ここに書いてあることは自然にわかっていくはずなので、あえてこの本を読む必要はないかな。

時々あるよね、こういう、「これをするとこんなことが待ってるよ」っていうヴィジョンを提供するだけの本。
「行政書士がわかる本」とかそういうやつ。
実際勉強するでもなく実務を紹介するでもなく、ヴィジョンを提示するいわばレクリエーション的な本。
わりと誰得だと思っている。
でもまぁここに書いてあることを「自明では?」と思えるのは今までの読書経験あってこそなのかもしれないし、それを確認できただけでも……

ここに書かれている「チャンピオンの本」は来年制覇したいな。
興味湧かなくて読めないのでないかぎり。
勉強アカウントの方で良書と紹介されていたので図書館で検索したところ,あったので読んでみた。
一応法律事務所で働いているので内容として新たな発見はなかった。
行政書士試験の基礎法学でも当然もっと発展的な内容を問うので,試験の役に立つということもなさそう。
ただ,こんな切り口で基礎法学への道を導く書があるということに驚いたし,無学で法律に飛び込んだ当時の私に差し出したら,泣いて喜んだろうと思う。
法学部生が高校教育終了後に法学へ早くなじめるように,という目的で書かれたものであるそうなので,そういった人の手にしっかりこの書が届いてほしい。
非常に親切かつ的確に,分からない人のために書かれたものであり,法の専門家である著者が「法が分からない人が分からないこと」をこれだけ把握しているということに恐れ入る。
恋愛工学なるものを提唱する著者がストーリー仕立てで恋愛工学を説明している本。
最初、セカチューみたいな泣ける恋愛ものかな^^と思って買ったのに真逆をいっててびっくり。
モテない卑屈で気持ち悪い思考の男が、ナンパ師に弟子入りしてどんどんモテるようになっていく物語。
くだんねーと思って三回~五回は本を床にたたきつけたくなること請け合いです。
ただ、あえて女性として言うと、ここに書かれていることの70%以上は事実でしょう。
何故モテないのか、何故モテるのか、どうしたらモテるようになるのかということは。
でもこれを読んでいるうちに、じゃあ本当に果たしてモテたいのか?
多くの女性とセックスできるということがそんなに素晴らしいことか?
と、やっぱりくだんねー!!という気持ちになると思います。
多くの女性とセックスしたいだけなら、本当にこの本に書いてあることを実践すればいいと思う。
そうすれば基本的にここまでじゃなくても成功はすると思う。
本当にモテない理由がわからないけれどどうしてもモテたい人は読むべき。
でも大体のモテない人は、本当はモテたくなんかないんだろうと思う。
本当は多くの女性とセックスするよりも自分の時間や自分の考えを共有できる人と一緒にいる時間を大事にしたいから、モテたくなんかないんだと思う。
本当にモテたいかどうかを知る、という意味でも、まぁ、読んで損はないね。
辻村深月は何冊か読んでいるけどどれも途中までしか読めていない。
これは最後まで読んだ。
ストーリーは美しくまとまっているし、起承転結や伏線の回収は完全に教科書通り。
とても分かりやすく生真面目で読者にやさしい、というか、何か優等生過ぎて、誰かに媚びている印象さえある(賞が取りたいとか教科書に載りたいとか?)
でもその教科書通りの運びが、文章を読むことを作業化させる。
文字がストーリーを伝えるための道具になってしまっている。
物語を紡ぐことが好きでも(ここにはこだわりを感じる)、文章を書くのが得意でも、この人はきっと文章を偏愛しているわけではないんだろう。
あくまで自分が得意とする手段。
そんな感じがする。

ストーリーは、自分のことを頭もよく可愛く、他の人よりずっと大人だと思っているので周りを見下している女子高生(実はドラえもんが大好き)の、自分が実は臆病なだけでみんな大好きだったお!っていうのに気付くまでの成長ヒストリー。
ドラえもんの道具があちこちに出てきてストーリーに華を添えているし、キャラクターもイメージしやすい。
なんというか、まぁこぎれいにまとまった作品。
主人公のイタさは自分に似てるなと感じたし、出てくる元カレが元カレに似てて吐きそうになった。
でもまぁよくある話だなと。
しゃべれない男の子が出てくるんだけど、その役割も、なんというか教科書通り。
好きでも嫌いでもない作品でした。
ストーリーは美しく、普遍的で万人受けすると思う。
特に言及することは何もない、キンドルで無料だったから読んだだけの本。
新しい語彙が増えるかと期待したが、そうでもなくオーソドックスな内容だった。
ただ、自分がモノの言い方で損をしているな、気を付けたいけど、どうしたらいいか分からないな、等の悩みを少しでも感じているなら、まぁ読んで損はない。
無料なので。
こういう本を時々読んで、一言でも二言でも、自省するような時間を作ることも大事かな、と思ったりする。
海は暗く深い女たちの血に満ちている。

11冊目 海を感じる時 中沢けい

1978年に当時18歳の女子大生だった中沢けいの処女作。
映画化もされて,そっちを先に観ていた。
映画よりも小説の方が,男女だけでなく女の物語という感じがした。
映画ではどこで海を感じているのか,海の役割がよく分からなかったけど,小説でははっきりしていた。

母なる海。海は母体。女は海。
そのような表現はいくらでも見るが,もっと生々しく海は生理だと言っている。
生臭い女の血だと。
自分の中に女を発見し,母の中にも女を発見し,海は生理なんだと,女の身体の一部なんだと発見する話。

なんというか,私も中学の時に母に女性性を断罪されて,怒り狂って泣きわめく母を見て「ああ母も女が憎い女の一人なんだ」と思ったし,母と娘は親子でありながら女と女なので一生敵対するし,それでもお互いが愛しいことに変わりはなく,自分の中にある女と,戦っていかなくてはならないんだと知ったし,この血生臭い小説はそのままあの血生臭かった獣の頃の私だし,きっと18歳の彼女だから書けたんだろうなと思う。
人間は生理の血の中から生まれる。そして二次性徴で自分からもその血が漏れ出す。
身体がもう一度生まれなおす時,血まみれの姿で母を求めても,その時母はもう老いていて,自分を受け止めてはくれない。
むしろ,拒絶を表す。
そこでもう,二人で一つの存在ではなく,個と個に関係性も変化していく。
見えないへその緒が今度こそ断ち切られる。
映画では男をきっかけに自分の性を自覚していくんだけど,小説ではそれはあくまできっかけに過ぎないような書き方だと思う。

とにかく,表現力がすごい。
場面転換の説明風のもたもたした文章が一切なくて,なめらかでみずみずしい。
そこがどこであるか,どれくらい歩いたかとかは本来重要じゃなくて
雨水が背中にも胸にも伝い,その冷たかった水が体温で温まる,それだけの描写で時間経過を表すのがいい。
これだああああああ小説ってのはこれなんだあああああってなりましたね。
現実の時間や状況なんてどうでもいいんですよ,それをどう表現するか,なんですよ。
最高だなぁ天才だなぁ。

彼の子供が生みたい,生理が遅れているから多分妊娠している,ということを告げたあとに生理が来た時
「クシャクシャになったスカートの中で、すっと小さな蛇が逃げだした。岩の割れ目から今を待っていたように、鋭く体をくねらせ、出てきた。あっ、声がもれたかもしれない。二匹目が逃げだしてきた。小さな赤い蛇が水晶のような目で、静かに見つめている。」という表現があるんだけどここのあまりの美しさは平伏したね。
これでふいに経血が漏れだしたことを、生理がきたことを、「彼の子供ができていなかった」ことを表すの、本当に天才でしょう。


中沢けいの他の作品も読んでみようと思いました。
風立ちぬ,いざ生きめやも。

10冊目 風立ちぬ 堀辰雄

映画の風立ちぬとは違うんですね。
飛行機出てこない。
作家である主人公と,結核の婚約者の話。
この作家と婚約者は,そのまま著者と亡くなった奥さんがモデルだそう。

自分の愛する人がどんどん衰えて死に近づいていくんだけど,一日一日を大事に過ごす中で,この日々は死があるから美しいんだ,死というものに侵されていく妻だからこそこんなにいとおしいんだということを自覚している。
献身的で悲劇的な自分に酔いながら,酔っているのも事実だけど,でも心から沸き起こる愛情もまた事実だと,かみしめながら過ごす。
恋人が死に近づくたびに,いっそう自分の生を実感していく。
さあ死のう,と,さあ生きよう,はほぼ一緒だ,というのがこの
「いざ生きめやも」なんですねぇ。

サナトリウムでの日々,自分に対して何かしてくれるでもなく,ただ懸命に生きているだけの恋人のそばにただ座っているだけの日々を,とにかく愛おしく美しいものとして描いていることが,なんだか不思議で知らない世界のことのようだった。
自分の愛に酔っていると主人公は感じていたみたいだけど,こんな,動けない病人に対して絶え間ない愛情が湧く男性もいるんだなぁと。
こういうただただその人が愛しい,その人がいてくれたら幸せ,という感覚,いいなぁ~。
などと思いました。
おれはね,いつも言葉に洗われるんだ。目からはいって脳を伝って,指先から流れ出ていく。

9冊目 永遠も半ばを過ぎて 中島らも

どうも梅雨が苦手だ。
細かく雨の予報を見て,今降ってないし,夜まで降らない予報だからと傘を置いて出ると数分後から降り始めたりする。
今月だけで三回傘を持ってない時に降られた。
もう一回は傘をパクられて濡れた。
折り畳みを持てばいいとかじゃない。
雨が降らなきゃいいんだ。

病院の帰りに雨に降られて,図書館に逃げ込み,手に取ったのがこれ。
ずっと昔に読んだことはあるけど,もう覚えていなかった。

写植を仕事にしてて一日中文字打ってる主人公のところに高校の同級生(全然親しくなかった)が転がり込んできて,こいつが詐欺師をやっててそれに巻き込まれていく。
そいつの持ってた睡眠薬をかじってビールを飲みながらいつも通り仕事をしていたら無意識下で奇妙な文章を書くようになってしまう。
それが「永遠も半ばを過ぎて」。
これで儲けようぜってことで詐欺師と一緒に売り込みに行ったりする話。

中島らも作品ほとんどに通ずる「酩酊状態の文字の洪水が美しい」小説。
本当にこの人天才だから,やっぱり中島らもに憧れて酒やっちゃうとか薬やっちゃうとかは致し方ないことだと思う。
だけどあんまそういうの聞かないな(私がらも全盛期まだ子供だっただけでよくあったのかも)

毎日毎日沢山の,文学作品や,折込チラシや,テロップや,節操のない文章をとにかく打ちまくる。
頭で記憶なんかしない。
目からはいった情報を手から出しているだけ。
洪水のような言葉に洗われていく。
そうして自分には何にも残ってはいないと思っていたところ,睡眠薬のパワーで体の中に蓄積された純度の高い言葉が紡ぎだされていく。
これは本当に,読書を沢山していて,小説を書こうとしている人とかは涙が出ちゃうんじゃないかな。
自分の中にもこんな風に言葉が眠ってないか,なんかの拍子にあふれ出てきてくれないか,そんなことをいつも考えている人からしたら,中島らもの天才っぷりは本当に本当に悔しいよな。
これ,ほぼノンフィクションだもん。
素の頭が抜群に良くて,センスもあって教養もあって,ものすごく博識で,でも繊細すぎて世の中に適応できないから,酩酊状態の時だけ天才でいられるんだよね。
あーなんで死んじゃったんだ中島らも。
言葉をざるで濾していたら,いつの間にか砂金が集まりましたってのが「永遠も半ばを過ぎて」で,こんな風に自分の中にも「永遠も半ばを過ぎて」が出来ていっている,いつか目を覚ます,と,思ってしまいそうになるご本でした。

あんまり覚えてなかったけどタイトルと言葉の洪水と,続けているといつか自分にも謎のパワーが溜まっていくに違いないみたいな気持ちを思い出したので結構影響を受けていた本なのかも知れない。
何一つ忘れない。

8冊目 君の名前で僕を呼んで アンドレ・アシマン

もうね美しすぎて尊すぎて感想とかないよね。
無理。尊い。

イタリアの避暑地。
17歳のインテリ少年・エリオの別荘では,大学教授の父が毎年学生の面倒を見るために下宿させている。
今年選ばれた大学院生・オリヴァーと,エリオが恋に落ちてひと夏を駆け抜ける話。

もうとにかくエモい。
芸術系同性愛。
映画化されていて,それを観てから原作本の日語訳を読んだ。
どちらもいいけど,小説版の方がより官能的というか,率直かも知れない。
エリオの一人称で物語が進むので,映画では分からなかったけどエリオこの時そんなに悶々としてたんかい!ってひたすら思うくらい,エリオずっと悶々としてる。
17歳の性欲さすがだわ。
それにしてもその沸き起こる性欲の描写も,まぶしい日々ひとつひとつの描写も,とにかく美しくて,一節ごとにため息が出るほど。
青春の夏の輝き,美しい……。
あと登場人物に悪い人が一人も出てこない。
とにかくみんな賢くて,優しくて,思慮深く愛に満ちている。
恋心って,素晴らしいものだよなぁ。
痛みも,不安も,得難いものだから,全てをしっかり感じて,押し殺さず,抱きしめないともったいない。
感覚を失う前に,感性がすり減る前に,そういう経験が出来たことを味わい切らないともったいない。
何よりこのエリオの両親が本当にいい人たちなんだよなぁ。
同性愛でも異性愛でもなんでも,自分の両親に自分の抱く気持ちを肯定してもらえるというのはすごく恵まれていて,現実的にはあり得ないんじゃないか?というほど,エリオは愛されている。
もしかしてそこにフィクションさを感じて興ざめしてしまう人がいるかもっていうくらい,出来た父ちゃんと母ちゃんなのよ。

何故こんなにエリオが恵まれているか。
それはエリオも,オリヴァーも,父も,三人とも著者をモデルにした私小説であったからだと思う。
これは確定ではないんですが,どうやらそのよう。
著者は若い頃毎年イタリアの別荘に行っていて,エリオのような生活をしていたし,大学院生だった時はオリヴァーのようだったし,今は大学教授をしている。
エリオのお父さんは後半で,若い時自分は踏み切れなかった,お前たちのようになれなかった,何かが私の心にブレーキをかけていた,ということをエリオに言うんだけど,つまりこれは著者自身が過ごしたかった少年期を描いていて,著者自身を慰めるための物語なんだと思う。
だからとにかくこの小説は美しい。

映画は,小説版のラストをカットしている。
それは続編を作るつもりだかららしい。
続編,私はなくてもいいような気もするけど……
やっぱりあった方がいいのかな。
ちなみに映画はブロークバックマウンテンを想起した人が多かった模様。
確かにオマージュになっている部分はあるだろうと思う。
でもこの作品の本当の主題は少年エリオが他者との深い関わりを得たことで自分自身を発見する,存在の証明の話だと思っているのですこーし違うかな。

君の名前で僕を呼んで
というタイトル,これ,ちょっと意味が分からなくないですか。
実際,行為中にオリヴァーが「君の名前で僕を呼んで。僕の名前で君を呼ぶから」と提案するんです。
相手のことを自分の名前で呼んで興奮するのってあんまり共感できなかったから色々考えたんですよ。
とても考えたんだけど,一回目映画を観た直後は
「別れることになると分かっているオリヴァーが,自分への未練を少しでも軽くしてあげるために,エリオに自分の名前を呼ばせないよう配慮したのかな」とか思っていたんですよ。
小説を読んだら全然違うことが分かりました。
これは,彼らが両想いをたしかめる前からお互いに
「彼は自分の考えていることが先回りして分かる唯一の相手だ」と強く感じていたからなんですね。
これはエリオもオリヴァーもすごく賢くて知識が豊富で,周りにいる人間と同レベルで話せなかった,浮いた存在だったことにも強く関係するんですけど。
賢すぎる故どこか孤独だったし,どこか周りに心を開けなかったんですよね。
でも,お互いに,自分よりも優れていて,かつ,自分と同じ感覚を持っていて「完全体になった自分」のような相手を見つけたんですよ。
自分の言おうとしていること,言わなかったことも,相手には分かる。
自分も,相手のことが分かる。
だからこそどんどん惹かれていって,元から一つの個体だった半身を見つけた気持ちになっていた。
だからこそ,自分は君で,君は僕だ,と宣言することが,二人の間で最大の愛の告白だったんですね。
エリオもそう思っていたから,オリヴァーにそう言われたことで,自分たちは本当にひとつになるべき存在だったんだと確信を得るわけなんですよ。

それともう一つ,前述の通り,オリヴァーも,エリオも,著者自身である,ということがかかっているんだと思います。
愛してあげられなかった自分自身を愛してあげるために,君の名前で僕を呼ぶんだろうなと。

なげぇ!!このくらいにしておく。
7冊目 ナイルパーチの女子会 柚月麻子

直木賞候補作
酔っ払って本屋に入って気になったから買ったもの。
名前は知っていたけど柚月麻子作品は初読み。
あまり新しく出てきた作家の本を読んでいないけど、この人は将来的には文豪と呼ばれているかも知れないと思った。

主人公はバリキャリだけど独身で実家住まいで女友達がいない30歳。
更新を楽しみにしているだらけた主婦ブログの主とたまたまカフェで出会い、友達になれるかも!
というところから始まる、女の友情って何?依存、承認欲求、人間関係、むずすぎる…って話。

文章力、表現力、洞察力がすごい。
人間関係で悩む人の中には、自分にどんな問題があるのか、気づいていない人も多いと思う。
ただなんとなく焦り、怒り、不安になり、困っている。
一人ひとりの抱える問題をグロテスクなまでに緻密に描き切っていて、ここまで書ける人はあとどれくらいいるだろうと作家界に思いをはせた。
タイトルのナイルパーチも繰り返し出てくるけどとてもいいイメージ像を提供してくれる。

内容について思うことはあまりにもまとまらないのでまた書けたら書く。
小説としてとてもレベルが高いと思うので気になったらぜひ読んでみて。
人生に必要なものは、勇気と想像力。
それと、ほんの少しのお金です。 チャップリン

6冊目 億男 川村元気

弟の借金を肩代わりしたことで妻と娘に別居され、死に物狂いで働いてたら3億円の宝くじが当たって、混乱したので大金持ちになった旧友に会いに行って相談したらその旧友が3億持って失踪した!
旧友を探す過程でお金とは何か、幸せとは何かを考えていく、という話。

これ自己啓発系の本だと思われそう。
というか私もそう思っていた。
まず思い浮かんだのはあの大ヒット童話「チーズはどこへ消えた?」でしょ。
でも違いましたね。
話の感じでいえば「色彩を持たない田崎つくると彼の巡礼の年」の方が近い。
構成が近いのもそうだし、名言の引用が多いのもそう。
川村元気は村上チルドレンなのかな。
他の作品を読んでいないけど、文章はとても読みやすい。
基本に忠実で、洒落をきかそうとして読者を混乱させることもなく、素直でいい。
工夫がなく稚拙とも言えるが、変に難しい表現をしてみたり使われない漢字を使って虚勢を張る小説気取りよりはずっといい。
脚本家が小説を書くとこうなる、という見本みたいな書き方。
大山淳子の「猫弁シリーズ」を以前読んだが、この人も脚本からの転身なので文章は淡々としてるが読みやすい。
展開が理解しやすく飲み込みやすいのは利点かも知れない。
文章力、表現力の妙を芸術として鑑賞したい時には不向き。

失踪する旧友(世間的に見れば15年会っていない親友は旧友だが、本編では一貫して親友と書かれておりそこがこの話の重要ポイントでもある)のキャラクターがとてもいい。
猫背でどもりがあり、人と目線を合わせない黒猫のような印象の彼が、壇上では流暢に落語を聞かせて観客を魅了する。
テープで聞きこんで、真似ただけとのこと。
「学ぶは真似る」九十九が一男に教えた、ひとつめの出来事。
主人公の一男はこの九十九にいろんなことを教わるけど、社会生活がスムーズではない九十九にとって
「一男くんと僕が揃ってはじめて百になる。二人で百パーセントなんだ。」
zsfひうれwcx、いうえxcんsdふぉせうy(エモい)
この王道的な名前の作りも最高じゃないですか。
ちなみに他の登場人物にも分かりやすく全部数字が含まれています。

人を信じることの難しさ、大切なものは一体何か、誘惑や迷いはどこからくるのか、等々、読んでて考えさせられる、を目指してるんだと思う。
私としては自己を振り返るより、エンターテイメントとして読んでしまったけど。
考えるとしたら、少し薄い内容なんだと思う。
ひとつひとつのエピソード、キャラクターがあまりに完成されていてキャッチーなので、想像の余地がないというか。
見えない部分がもっと多くないと考えさせるに至らないんじゃないかなぁ。
私としては、人の信用を試す行為はすでに信じてないから出来ることでそれ自体が裏切りとみなしていいと思う。
信じてたから試したのにやっぱり引っかかった、っていうのは、相手の信頼を自らの不信感で最初に裏切ってることにならないわけ?
などと考えてしまったらこの話は面白くないです。
素直にエンターテイメントとして楽しむことをお勧めします。
九十九可愛い!
秘すれば花なり

5冊目 ヴィヨンの妻 太宰治

なんでこういう男ってモテるんだろうか。
自分では自分を天才だとか詩人だとか言わない、それどころか「僕はここのお勘定をちゃんと払いたいんだ」とか言う。
払うつもりもないくせに。
周りの人がもてはやすから、それを聞いた人もなんとなくあの人はすごいんだろうなんて思ってしまう。
まさに秘すれば花を体現していて、こういうのをテクニックとしてではなく自然にやる男っているよなー!と思いました。

でも太宰が書いているからには太宰自身はこのテクニックを少なくとも認識していたわけで、本当に憎たらしい人だね。
妻の強さ、美しさ、聡明さをいくら讃えたところでアンタの贖罪にはならねぇよ?と思ってしまった。

まぁそんな個人的な恨みはいいとして、本としてはやはり妻さっちゃんの健気さに注目すべきだろうか。
彼女も、ちょっと変わってるよね。かなりハイカラというか。
こじんまりと旦那を待ち続けて貧乏するような女じゃなかった、それでも、旦那に一目会えればうれしいほど旦那に惚れ込んでる。
そこには疑問を感じないんだなぁ。
こんな下らない男は願い下げだ、とはならないんだなぁ。
不思議。そこが男女だよねぇ。
旦那が泥棒をしたと聞いても大笑いするようなゾッコンぶりはちょっと微笑ましいけど狂気も感じる。
人を狂わす魅力の持ち主、しかも確信犯、太宰恐るべしですなぁ。

(今回はこのように書きましたが太宰個人の感じている苦悩はそれはそれなりに真実であって、そこまでも含めて嘲笑する気はないです)
全てはここから始まった

4冊目 黒蜥蜴 江戸川乱歩

有名な明智小五郎シリーズ。
女傑vs名探偵の、宝石と美少女、変装、騙し合いロマンチック探偵小説。
この女傑がまたいいんですよ。
黒づくめの美人泥棒なんですが、男装もするし、その時は一人称が「僕」で、
ちょいちょい女性の恰好をしている時でも僕って言ってるんですね。
色々な性癖が詰まっている。

乱歩本当に好きな作家なんですよね。
本当に文章が美しいでしょう。
物語の美しさもさることながら、本当に文章が美しい。
特にこのシリーズは著者の講談で語られるので、声に出して読んだ方がより美しさを感じられると思う。
特に素晴らしい冒頭部分

“この国でも一夜に数千羽の七面鳥がしめられるという、或るクリスマス・イヴの出来事だ。
帝都最大の殷賑地帯、ネオン・ライトの闇夜の虹が、幾万の通行者を五色にそめるG街、その表通りを一歩裏へはいると、そこにこの都の暗黒街が横たわっている。”

この節回しよ。講談なんですよ。扇で机を叩きたくなる、このリズムのよさ。
そして「ネオン・ライトの闇夜の虹」「幾万の通行者を五色にそめる」この言葉のセンスよ。
もうビンッビンに痺れるでしょ。
かっこよすぎるでしょ。渋すぎるでしょ。おしゃれすぎるでしょ。
ずっと大塚明夫の声で再生されますわ。

これ、結構共感する人としない人と分かれるんですが、私は小説って「文章が美しいこと」に一番価値を感じるんですよ。
面白い話、華麗なトリック、突拍子もない設定、壮大なファンタジー、どれも小説の見どころかも知れませんが、私は
「起きてトイレ行ってご飯食べてダラダラしただけで終わってしまった休日」であっても、文章が美しければ立派な小説だと思うんです。
静物画に劇的要素が必要ないように、ただのひまわりが傑作と呼ばれるように、ありきたりのあるがままの風景をその人だけの感性でその人だけの言葉で綴ること、そこが文学、文芸の真髄だと、私は思っているんです。
女傑との頭脳比べも、お互いに存在を意識し合って戦ってきた好敵手への特別な敬意も、女傑の美と贅と残虐のコレクションも、どれも素晴らしいけれど、
「ネオン・ライトの闇夜の虹」「闇夜の虹」!!!!「闇夜の虹」ですよ!!!
小学生でも中二病になるこのかっこよさ。
これこそが文豪なんですよ。
捻ればいいとかこれ見よがしに難しい言葉をひけらかせばいいわけじゃないんですよ。
芸術なんですから。己の美しさを句読点まで追求して欲しいんですよ。
お話は、今となっては王道中の王道だし、この講談調からも分かるように大衆娯楽として雑誌連載してたものなのですっごく分かりやすいです。
何度も舞台化、映画化された、誰にでも愛される作品だと思うので一度読んでみても損はないと思う。
三島由紀夫が惚れ込んで売り込んで、脚本書いて舞台化したらしい。
改めてあの時代すごいよなぁ。みんな生きて、関係しているんだもの。
あの人たちがまだいなかった頃の文芸界ってどんなだったのかな。
おいおい調べます。
とりあえず乱歩熱が再燃したので図書館行って取り寄せてきます!

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